湯たんぽのおかげでよく眠れたが、明け方にはその温もりもわずかとなった。がらんとした小屋の中は寒々しく、寝袋から上半身を起こすのにも勇気が必要だった。体を温めるために昨晩の鍋の残りを火にかける。カロリー摂取と荷物減らしのため、餅を2つ入れた。
今日は吾妻山でご来光を拝み、一度小屋に戻ってから比婆山へ登り返して広島県側に下山する予定だ。好天が期待でき、いい1日になる予感がした。日の出は7時前後。吾妻山までは標高差250mだから1時間もかからないはずだ。頂上でご来光を拝むために5時半に小屋を出た。空は暗く、星の輝きは力強く、まだ夜が支配している。
昨日偵察したトレースを忠実になぞっていく。大膳原から吾妻山に向かって斜面が急に斜度を増していくところで樹林帯に入った。数日前のスノーシューのトレースがあるが、自分の登りやすい角度に新しく道を刻んだ。ここはちょうど吹き溜まりになるからか、柔らかい雪が深く積もっていた。あまり早く山頂に到着しても寒いだけなので、ペースをかなりゆっくりにしたつもりだったが、樹林帯を抜けて風に叩かれた斜面を斜行していくとすぐに頂上に着いてしまった。
振り返ると、東の空は比婆山越しに朝焼けに滲み始めていた。思ったより風が弱く、寒さもそれほどではない。そのまま日の出を待つことにした。シールを仕舞い、いつでも滑り出せるように準備をする。吾妻山山頂は周囲360°遮るものはない。見渡す限り名も知らぬ中国山地の山々が幾重にも連なっているのだが、大山だけはすぐそれとわかる存在感で屹立していた。あちらの山頂にも同じようにご来光を待っている人がいるだろうか?
広島県側の三次盆地には見事な雲海が広がり、雲から頭を出した山が小島のように浮かんでいる。土地勘のない僕は、最初は瀬戸内海の小島が見えているのだと勘違いしたぐらいだ。地図を見直すと、瀬戸内海は手前の丘陵地帯に遮られてほとんど見えないと思われ、仮に見えたとしてもこのように広範囲に見えるわけはないらしい。
比婆山の稜線から顔を出した太陽は体を一気に温め、山々の東斜面を薄橙色に染めた。この光の中を滑り降りたいと思い、素早く板をつけ、東斜面へ飛び込んだ。とはいっても、斜度25度ほどあり、クロカンにとっては緊張する斜面なので慎重に下る。吹き曝しの斜面は幸いにもモナカ雪ではなく、やや硬めの締まり雪だった。樹林帯に入ると雪は柔らかくなったが、深すぎてむしろ滑りにくくなった。まだ日の当たらない大膳原まで降りて振り返ると、キックターンを交えた不格好なシュプールが見えた。
小屋に戻り、急いで帰り支度をする。ただ下山するだけであれば帰りの列車まで十分すぎるほど時間があるのだが、山中をゆっくり散策したり、下山後にスキー場で滑ることを考えるとぐずぐずはしていられない。小屋を出て、昨日ツボ足で苦労して下った尾根をシールで烏帽子山へ直登した。スキーで登るのであれば何てことは無い。烏帽子山からは直接比婆山には向かわず、東斜面の様子が気になって、そのまま少し滑り降りた。
そこは穏やかな日差しを受ける巨木の森だった。斜面をトラバースしていくと、次から次へと気になる姿をしたブナが現れるのだ。朝早くから日に照らされた雪は湿り気を帯びて滑りやすくなっている。ウロコもよく効いた。
ここは樹間も十分開いていて、滑りごろの斜面になっている。雪が深ければ最高のゲレンデになるだろうと思った。
少し標高を下げながら森の中を2往復ほどしたあと、いよいよ比婆山にとりかかる。ほどなく夏道に合流すると、両脇に高木を従え、まさにブナ街道という雰囲気になった。街道は時折巨岩を巻いて平坦な頂上まで続き、そのまま御陵に導かれた。御陵というのは日本神話のイザナミが比婆山に葬られたという伝説から、頂上一帯の巨岩が点在する場所をそのお墓と見立てているのだ。
その神域を護るブナたちには特徴がある。風の強い稜線付近のブナというと、どっしりとして枝ぶりは力強く横に広がり、複雑に曲がりくねった姿を想像するのだが、ここでは背が高く枝は上へ上へと綺麗な螺旋を描いて伸びている。木々の一本一本が風雪に耐えるのではなく、身を寄せ合って森全体で受け止めているのだろうか?
頂上からはどこから滑り降りれがいいか見当もつかなかったが、少し歩くとスノーボードの滑走跡があり、それに導かれるように斜面に入った。最初は少し藪がうるさく、開けた場所を探してトラバースしていくとターンスペースのある斜面に出た。泊り装備を背負ったクロカンにはすこしキツいが、普通のアルペンであれば問題の無い重めの湿り雪だ。ボーゲンと斜滑降を交えて滑った。
比婆山の東斜面も烏帽子山に負けず劣らず美林で、見通しもきくのでルート取りは迷わない。時折小さな沢沿いに岩塊斜面があるらしく、饅頭を沢山重ねたような斜面が出てくるので、そこだけは踏み抜かないように慎重になった。
まもなく植林帯に変わり、スキー場が近づくと、人の声と硬い斜面をエッジが削る音が響いた。この音で急に下界に降ろされた気分になった。
ゲレンデに出ると、そこは幅広の中急斜面だった。実はここからが今日の核心だった。今朝の冷え込みでアイスバーンとなったコースは久々に恐怖を感じるものだった。こんなはずでは、と思いながら下っていくと、ゲレンデ基部の雪の緩んだコースでは問題なく滑ることができたので、やはりまだ未熟なのだろうと思った。荷物をレストハウスに置き、1回券を3枚買って滑りにいく。3連休の中日でシーズン中最大級の人出と思われるが、リフト待ちはなかった。硬い斜面も何とか修正して滑り切り、留飲を下げてスキー場をあとにした。
公園センターで2日ぶりの風呂に入り、家族への土産物を買って、タクシーで備後落合へ向かった。できればここはバスを使いたいところだったが、残念ながらそのようなものは無い。15キロの距離は徒歩では遠く、事前に列車の時刻に合わせて予約しておいたのだ。運転手さんは地元の人で、昔この界隈のスキーに通った思い出を話してくれたのが嬉しかった。
もうひとつ嬉しいことがあった。備後落合駅の待合室は木次線や芸備線の博物館というか歴史資料館となっているのだが、これらをボランティアで整備し、ガイドをされている永橋さんにお会いできたのだ。僕がスキーを担いで来たことにとても驚いて懐かしがられた。というのも永橋さんは元国鉄の機関士であり、ひろしま県民の森スキー場のスキーパトロール隊長だった方なのだ。
備後落合からの乗客は僕一人。列車が入線してくるまでの時間、色々な話をしてくださった。かつての駅の賑わいの話、豪雪の話、三井野原に広島県で初めてリフトがかかった話(当時三井野原は広島県だった)、週末になると大勢のスキーヤーが板を抱えて列車に乗ってスキー場に向かった話などなど。さらに偶然にも僕が三井野原で泊まったしらかわ旅館は永橋さんもよくお世話になっていたとのことで大いに話が弾んだ。
三次行きの列車と新見行きの列車がほぼ同時に入線すると、駅は少し活気づいた。双方の乗り換えが可能なこの時間はゴールデンタイムなのだろう。鉄道ファンが数人降りてきた。その人たちにも永橋さんは丁寧に駅のガイドをされていた。
備後落合から新見の芸備線も木次線と同じく山岳路線で山間の集落を繋ぐように線路が伸びている。1月だというのに窓から見る景色は雪解けした春の陽だまりの様相だった。旅も終わりに近づいて幾分緊張もほぐれてきたこともあってか、列車の効きすぎる暖房と心地よい揺れによって増幅された眠気に、うとうとしながら新見に向かった。新見で特急やくもに乗り換え、岡山から新幹線で帰京した。行きに比べたら何ともあっけない帰路であった。
(了)