どこかスキーで訪れて面白い場所はないか探す時、僕は電子地図の縮尺を20万分の1ぐらいにして、標高にカラーグラデーションをつけて眺めている。そうすると全体の山並みと、そこに引けそうな旅のルートが想像しやすいのである。この旅もそんな場所探しがきっかけだった。群馬県と栃木県が接する山奥に、標高は高いのだが、やけに平坦な地形があった。そこが鬼怒沼だった。それまで鬼怒沼の存在は全く知らなかったが、ここにテントを張ってスキー旅ができたら面白いと直感した。

さらに興味を引き立てたのは、鬼怒沼に向かう山間にある日光澤温泉である。徒歩2時間でようやくたどり着ける秘湯で有名だ。そこで栃木県側から入山し、日光澤温泉で一泊。そして鬼怒沼でさらに一泊し、馴染みの群馬県丸沼高原に抜けるという計画を立てた。問題は交通手段である。すべて電車とバスで行くことは可能だが、重荷をかかえて首都圏の電車は辛いだろうと考えて新前橋発着とした。つまり以下のような計画である。

1日目:新前橋駅~(両毛線)~栃木駅~(東武)~鬼怒川温泉駅~(バス)~女夫渕~(徒歩)~日光澤温泉

2日目:日光澤温泉~鬼怒沼

3日目:鬼怒沼~丸沼高原~(バス)~沼田駅~(上越線)~新前橋駅

行程としては面白いが、はたしてスキーで滑る場所はあるだろうか?鬼怒沼付近の植生は針葉樹の混じる混成林で、オープンな斜面はあまり期待できない。そんな風変りな計画に、酔狂ツアー好きのMT氏にも加わってもらった。

2012年3月18日、午前6時20分発の桐生行きに乗り込む。馴染みのない場所で馴染みのない列車に乗るのは久しぶりだった。正確に言うと、新前橋自体は小さい頃に何度も通過している。当時、吾妻線を走る急行に乗って家族でスキーに行っていたのだが、新前橋で水上方面へ行く列車と切り離すのだ。しかし、駅の様子の記憶はほとんど無い。子ども心になぜ前橋でなくて新前橋なのか不思議に思った記憶だけがある。


(Photo by MT)
(Photo by MT)

初日はほとんど電車とバスの移動なので気が楽だ。朝食を持ち込み、背もたれが垂直なボックスシートで旅気分で食べる。あとは外を眺めているだけで十分だった。途中、桐生で懐かしい配色の車両に乗り換えて栃木駅からは東武鉄道に乗った。ようやく山らしい風景が現れ、鬼怒川温泉駅で下車した。日曜日ということもあり、それなりに観光客は多かったが、スキー客は僕ら以外いなかった。そんなわけで、女夫渕行のバスでは、温泉客の奇異の目にさらされる。どこを滑るのかと問われても、僕らも即答できないでいた。

(Photo by MT)
(Photo by MT)
(Photo by MT)
バスは1時間半ほどかけて、終点の女夫渕に到着した。ここからは歩かねばならない。まず、一般車両通行止めの林道のゲートをくぐり、林道とはすぐに分かれて鬼怒川沿いにつけられた遊歩道に入った。何度か橋を渡るたびに階段が現れるので板を脱ぐ必要があったが、概ねシールをつけて歩くことができた。

遊歩道沿いには垂直な岸壁や氷瀑が点在していた。残念ながらあいにくの天気で、途中から雨も降りだし、加仁湯のあたりで土砂降りとなった。一刻も早く宿に到着したくて、黙々と歩き続けた。

(Photo by MT)

そして午後3時、日光澤温泉に到着した。噂通りの趣のある建物だ。設備は山小屋というよりは温泉旅館に近い。女夫渕からの林道は宿まで冬季でも通じていて、物資の輸送にはそれほど制限が無いのだろう。電気使用制限もなく、携帯電話も問題なく通じた。

(Photo by MT)
(Photo by MT)

食事・温泉は、雨で冷えた体に染み渡った。客は僕ら以外に1組で、明日は早出して鬼怒沼に上がるということだった。外の雨は次第に霙に変わっている。鬼怒沼では雪だろう。翌日の天候回復を期待して、布団を被った。

(つづく)

今振り返って…2018.10.28
思い起こせば、もう少し温泉宿を堪能しても良かった気がしている。同行のMT氏はその辺抜かりなく満喫しているようだったが、僕は翌日の行程が気になっていたのか、あまり記憶が無い。次に訪れる機会があったら、周辺の山を歩いて2泊ぐらい泊まることをやってみたいと思っている。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です