自転車と山スキーというのは相性がいい。どちらも、移動手段とスポーツという二面性持っている。旅との相性も良い。それが理由か、この二つの乗り物(スポーツ)をともに愛好する人は多い。また、これらを組み合わせて楽しむこともできる。自転車でアプローチし、山スキーに出かけることはもはや珍しくない。ただ、その場合は自転車はどちらかというとやむを得ない交通手段として使われることが多いように思う。スキーが主であり、自転車はそれを補う従の立場だ。
僕はこの二つを主従の関係ではなく、対等で、そして全体を旅として楽しめる遊び方は出来ないかと考えた。そこで思いついたのが、自転車を置いていくのではなく、スキーでも共に旅することだ。自転車を担いで登り、滑るのである。
山に自転車を持ち込むことは、昔から行われてきた行為だ。その目的は下山先の足の確保のためであったり、山の中で自転車を乗ることだったりする。そして自転車を山に持ち込むこと自体は、そう難しいことではない。多少重たかろうが、嵩張ろうが、頑張れば出来ないことではない。しかし、それでスキーが楽しめるかというと話は別だ。
逆に自転車が楽しめるか?という視点もある。スキーの滑りを追求すれば装備は大きく重くなっていく。自転車に装着することは可能だろうが、走りを楽しめるだろうか?僕が目指したいのは、無理なく、体力任せでなく、この二つの道具を使って旅をしたいのだ。平たく言えば、スマートにこなしたいのである。
そこで僕が出発点に選んだのは、BCクロカン(細革テレでもいい)と軽量折り畳み自転車の組み合わせである。革靴は滑りはプラブーツに劣るが、漕ぐ、歩くを考えると最適と考えたからだ。シーズン前から試行錯誤しながら自転車を組み上げ、テストし、2018年4月12日、シーズンの終盤にようやく試すことができた。
ルートは、飯山線上境駅を自転車でスタートして温井集落へ、適当な場所からスキーハイクで鍋倉山、関田峠を越えて上越市側に滑り降り、自転車でえちごトキめき鉄道新井駅に至る計画だ。
午前7時半、上境駅で支度をする。スキーや荷物の装着は頭の中でイメージしていたが、実践はなかなか難しい。自転車の乗車ポジションを考慮して装着位置を調整するなど、少し手間取った。
自転車は14インチの軽量折り畳み自転車を、フレーム以外ほぼ全てのパーツを入れ替え、ドライブトレインをシングルスピードから2速に変更しつつ、約5.8kgまで軽量化している。
スキーは、テール側はシートポストに固定する。シートポストに装着した一回り太い径のシートポストクランプにストラップをくぐらせ、ストラップで板を締め付けることでズレ落ちることは無い。
一方、トップ側はハンドルポストクランプから吊り下げている。板の間にスキーシールを挟み込んで幅を持たせているため、ハンドルポストを締め付けずに板が装着できるのだ。これにより、板に干渉されることなくスムーズにハンドルを切ることができる。
取り付けたスキーには、大き目のスタッフサックをパニアバッグのようにぶら下げることができる(巻頭の写真の緑色のバッグがそれだ)。自転車に乗っている間は背中の荷物は軽いほうがいいので、重量物はまとめてここにぶら下げておくのが楽だ。かなり大きなバッグを吊り下げてもタイヤに干渉しないのは、小径車の利点だろう。
駅を出発すると、道はいきなり河岸段丘をグイグイと登り上げる。まだ雪が消えたばかりの棚田に満開の桜が目立つ集落を横目に、早くも息が上がる。それほど長く続く坂ではないことはあらかじめ分かっていたが、助走なしで急登から始まるのは堪えた。その一方で、シッティングで登って行けることに安堵した。ヒルクライム用のギア比の選択は間違っていなかったようだ。靴底の硬いBCクロカンブーツでペダルを漕ぐことも問題なかった。ペダルのスパイクがブーツによく噛んでストレスなく回していけた。
20分ほどして坂がひと段落すると、目の前に関田山脈の山並みが現れた。今日はこの旅にH氏が同行してくれているのが心強い。実は鍋倉山は初めてなのだ。いつかは訪れたいと思っていたが、近ごろの路上駐車問題もあり、何となく躊躇していた。それが、今回は自転車だから気にする必要もない。好都合だった。
そんな温井集落を抜け、除雪済の道路を上がっていく。例年なら集落から雪上を歩けるようだが、日当たりのいい斜面は雪が切れてしまっていた。ここで道は再び急勾配となり、所々10%を越えていそうな坂も出てきた。この後のスキーハイクを考えてペースは抑え気味にした。
路肩の雪はせいぜい1m程度で、春先の異常な温かさと少雪により、例年と比較してかなり少ないようだ。田茂木池も湖面をさらしつつあり、周囲のブナの木は芽吹きはじめて枝先がくすんだ緑色をしていた。道路はまだまだ先まで除雪されているようだが、そろそろ安定して雪の上を歩けそうになったので、777m地点でスキーに切り替えることにした。
自転車をバックパックにパッキングする際には、単に折りたたむだけでは収まりきらない。サドル、ハンドル、タイヤ、ペダルを取り外すことでパッキングの自由度が増す。
それでも、異形物ばかりで、通常のバックパックでは収まりが悪い。そこで、ソフトタイプの背負子を用意した。主に軍用もしくは狩猟用に北米で盛んに使われていて、荷物を布で包み込むように固定する。
自転車をパッキングした総重量は15kg程度。決して軽いとは言えないが、泊りツアーであれば十分あり得る重量だ。
道路から離れ、山頂から東に延びる尾根を目指した。取りつきはやや斜度がきつくて苦労したが、尾根に乗ってしまえば快適な登行が続いた。標高を上げるとともに緩やかで広い地形に変化していき、鍋倉山を象徴するような明るいブナの純林になった。それに合わせるかのように空が晴れ渡り、僕らを温かく迎え入れてくれた。雪面状態も非常に良い。自転車を担いでスキーツアーができれば上出来と考えていた心に、沸々と滑走欲が湧き上がってきた。
ここまで来ればあとは早かった。足早に山頂へ上り詰めた。山頂からの展望は、聞いていた通り素晴らしかった。視界を遮るものはない。日本海、緩やかに弧を描きながら伸びていく関田山脈の山並み、頚城、妙高の山々、上信越の山など、著名な山々に囲まれている。今日は風が強く、先に到着していたパーティはスノーブロックを切り出して積み上げているところだった。
僕らは休む間もなく身軽になって滑りに行く。そう、例え重たい自転車を担いでいても、ウロコ遊びをするのであれば、荷物は置いて行けばいいのだ。小さな斜面を繰り返し滑るこの遊びは、自転車との相性がいいとつくづく思った。
登ってきた尾根と、さらに南東側に延びる緩斜面を何本か滑った。凹凸なく滑らかなザラメ雪は気持ちよく板が滑った。前日の雨と風の影響を気にしていたが、まったくの杞憂に終わった。やはり、日当たりの良い、尾根状の緩斜面というのは実に気分のいいものだ。
滑走を終えて、風を避けて山頂の南側で昼食をとった。ここからは飯山盆地とそこを流れる千曲川が蛇行する姿がよく見え、その先に高井富士が望まれた。申し分ない天気に、つい長居をしてしまいそうになる。気づけば午後2時近くだった。日が長くなったとはいっても、そろそろ先に進まねばならない。
日本海を正面に山頂を越え、黒倉山を巻くように滑り込んで関田峠を目指した。日陰の斜面は雪が締まって滑りにくく、重荷だけに緊張する。BCクロカンでは一番苦手のコンディションだろう。無理せず慎重に滑った。
再び稜線に乗って少し歩くと、峠は近い。眼下には高田平野が広がり、その手前にはこれから目指す光ヶ原高原の雪原が白く浮かんでいた。
関田峠から温井方面に戻るM氏とは下山後合流する約束をして、一人、上越市側に降りる。道路はまだ雪の下だったが、雪上車で踏み固めたのかフラットで滑りやすかった。途中、所々ショートカットしながら標高を下げる。光ヶ原高原が近づくと黒倉山の荒々しい北斜面が見えた。
光ヶ原高原はシーズン末期のゲレンデのような雰囲気で、藪に行く手を阻まれないようにルートどりしながら滑った。背中の荷物も、雪が良ければあまり気にならなかった。道の除雪はちょうど高原まで進んでいて、スキーから自転車に乗り換えた。
高田平野へは豪快なダウンヒルは待っていた。線形よく整備された道は走りやすく、あまりスピードの出ない折り畳み自転車でも気持ちよく流すことができた。軽量化により少し心配だったブレーキの制動性能も問題なく、ヨレることなくカチッと止まってくれた。小径車にありがちなフラつきもなく、ツーリングバイクとして使うに足りる走行性能はあると感じた。
ほとんど漕ぐこともなく麓に降り立ち、あとは田園地帯の田舎道を旅の余韻を噛みしめながら新井駅へ向かった。昼間の温かさが残る夕方の空気が心地よかった。
新井駅到着は午後5時、地方ローカル線によくある風景だが、列車は帰宅の学生で混みあっていた。直江津経由で上境駅に到着したのは午後8時近くだった。
初めての自転車を担ぐスキー旅は大いに可能性を感じた。スキー、自転車とも楽しむことができ、出発・到着場所や時刻に縛られない自由というのは、きっと山の楽しみ方を広げてくれるはずだ。また、最近は地方の公共交通機関が縮小されていく傾向にあり、その不自由さを軽減する一助にもなるだろう。
一方でいくつか改善すべき点もある。荷物の軽量化はかなり進んだと考えているが、荷物のパッキング方法については最適解を導き出せてはいない。折りたたんだ自転車のフレームとその他の荷物をいかにコンパクトに効率よくまとめるかなど、改善の余地がある。また、足元が貧弱なBCクロカンで重荷を背負って安全に滑る術は修得せねばならないと思っている。
(了)